大本竹田別院 (9 画像)
もともとは造り酒屋(銘は朝来鶴)であった石原家邸宅(屋号は岡田屋)である。母屋は三百年以上の風雪を経た江戸時代に再建されたものといわれ、陣屋造りの面影を残している。
昭和初期、竹田の町は当時大きな勢力を持ち信者を拡大していた大本・人類愛善会に竹田城跡における愛善郷建設を決定し、竹田別院を誘致した。その後、大本が大きな弾圧を受けたことから、愛善郷建設は具体化しなかった。この時、全国にあった別院は破壊されたものの、竹田別院は無傷で残り、教祖・出口王仁三郎聖師の家族も住んでいた。また、大本の外郭団体である「大日本武道宣揚会」が1933年に総本部を竹田に移し、合気道の開祖植芝盛平翁も指導にあたり、百畳敷の道場は全国からの修行者で活気に溢れ話題を集めた。

・兵庫県朝来市和田山町竹田87

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