佐倉城跡 (77 画像)
佐倉城は印旛沼へ注ぐ鹿島川、高崎川を外堀都市、台地上に土塁を加えて築城した平山城で、石を用いていない。
戦国時代のなかごろ、千葉氏の一族鹿島幹胤によって初めて築かれたと伝えられ、別に鹿島山城とも呼ばれた。千葉邦胤もここに本庄を移そうとしたがなかばにして果さず、のちに徳川家康がその要害に着目し、土井利勝に命じ1611(慶長16)年正月から7年を費やし、1618(元和3)年ごろに完成した。以来、徳川幕府では江戸のまもりとして老中格の譜代の諸侯九氏を封じた。
1746(延享3)年山形から堀田氏が再び移封し、六世126年間11万石を領有して明治維新に及んだが、1873(明治6)年第一軍管第二師営の営所が置かれ城の施設はことごとくこわされた。
その後、歩兵第二連隊、歩兵第五十七連隊などの兵営となった。

・千葉県佐倉市城内町
公式ホームページ

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