前田家別邸 (67 画像)
旧小天(おあま)村湯ノ浦地区には古くから温泉が湧き、小天温泉として数軒の宿があり、前田家別邸もその一つであった。
前田家の当主案山子(1828~1904)は、幼名一角、元服後覚之助と名のり、槍の達人で、細川藩に指南として仕えていたが、明治維新に際し、「農民とともに生きる」決意で案山子と改名。自由民権運動の闘士となり、干拓農地の免訴運動などに奔走した。
1878(明治11)年、彼はここに別邸を建て、中江兆民や岸田俊子(中島湘烟)、中国革命の志士黄興など多くの同志が全国から来訪。時には大演説会も開かれるなど、さながら政治クラブの観を呈する中、請われるままに一部を温泉宿として解放した。当時、小天温泉は熊本市街から最も近い温泉地であり、旧制五高の先生たちも好んで利用していた。案山子は、1890(明治23)年の第1回衆議院議員も務めた。
1897(明治30)年の暮、当時第五高等学校教授であった夏目金之助(漱石)は、熊本での2度目の正月に同僚と二人でこの別邸を訪れ、離れに宿泊。「温泉や水滑らかに去年の垢」と数日間ゆっくり過ごした。
1906(明治39)年、漱石はこの旅をモデルに小説「草枕」を発表した。作中、前田家別邸は「那古井の宿」、前田家は「志保田家」、案山子が「老隠居」、次女卓(つな)が「那美さん」として登場。そばの第2別邸の庭池も「鏡が池」、八久保地区にある本邸は「白壁の家」と書かれている。
当時の別邸は、敷地全体に配置され、段差を生かした複雑な様相の屋敷で、中庭を囲むように旅館棟の本館(木造3階建)、浴場、離れと母屋(住居棟)が回廊、渡り廊下で結ばれていた。本館と離れの一部はなくなり、母屋は建て替えられているが、漱石が宿泊した離れの6畳間と浴場が現存している。離れの6畳間は、昭和61年に修復。浴場は、平成16年に半地下の洗い場、湯槽を当時のままに保存、上屋が復元された。

・熊本県玉名市天水町小天766-3
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