出石家老屋敷 (21 画像)
この建物は、江戸時代後期に出石藩士の居宅として使われていたもので、出石城内に現存する唯一の武家屋敷である。平屋に見えるが実際は二階建てとなっており、二階には敵の襲撃に備えたり、秘密会議の際に使用するための隠し二階がある。
出石城の内堀に囲まれた三の丸にあり、藩主の居宅兼執務施設であった対面所(現在の出石庁舎敷地)の近くに建っていることからも、この屋敷の主が藩の上級武士(家老クラス)であったことがわかる。江戸時代における三大お家騒動の一つに挙げられる仙石騒動の中心人物である仙石左京の屋敷跡に建っているので、「左京屋敷」とも呼ばれている。
明治維新時に、本丸・二の丸の櫓など城に伴う建物の大半が取り壊され、1876(明治9)年の大火で周辺のほとんどの建物が焼失する中残った、出石藩時代の面影を偲べる貴重な建築遺産と言える。その後、公的施設として使われたことから、用途に応じた改修がなされ、曳家により若干場所が移るなどの変化はあるが、基本的な建築材や部屋割りはほぼ往時の姿をとどめている。
建物内では、そうした構造を見ることができるほか、武具や大名行列の道具などを展示しており江戸時代後期の武士の暮らしの一端を感じることができる。

●仙石騒動
1824(文政7)年江戸参勤の途中発病して急逝した藩主仙石政美の後継をめぐって、主席家老仙石左京と老臣たちが9年間のながきにわたって対立し争った事件である。
これが幕府の知るところとなって1835(天保6)年左京以下31名の藩士は断罪され、仙石氏は五万八千石から三万石に減封された。
その後この騒動は講談や歌舞伎によって評判となり世に広く知られている。

・兵庫県豊岡市出石町内町98-9
公式ホームページ

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