旧福冨家住宅(出石史料館) (46 画像)
かつての出石の城下町にはいくつもの職人町があった。この住宅の面する通りは、古絵図によれば鋳物師町と記されており、ナベ・カマなどを作る職人が軒を並べる通りであった。当家の主も代々鍋屋惣兵衛(屋号は鍋惣)を名乗っており、その名から江戸時代はナベ・カマといった鋳物を商う商家であったと思われる。
明治維新後まもない明治9年、この城下町を大火が襲い、町並みの2/3が焼失してしまった。このため現在のこの建物が建て直されることになり、明治45年に通りに面して東側に主屋が、少し早く明治25年に西側に離れが建てられた。再建に当たって、当時生糸を商っていた主は、京都からわざわざ職人を呼びよせたと伝えられる。
この建物は母屋、離れ、土蔵からなり、高度な建築技術を駆使した贅沢な造りとなっている。母屋は1912(明治45)年の建築で、室内には大きな神棚、箱階段、囲炉裏などが配され、建物正面に見える虫籠窓や格子戸が印象的である。離れは少し早く1892(明治25)年の建築で、表通りに面して門を構え、式台玄関を設けている。
しかし戦後まもなく福冨家は出石から移り、地区の公民館として使用されていた時もあった。その後、この建物は出石町が所有することとなった。昭和52年に離れと土蔵が史料館として使用されることとなり、平成10年には史料館を旧福富邸の建物全体に拡張し、出石の町屋を見学できる施設として開館した。
出石藩は小出氏9代松平氏1代仙石氏8代と続いた。当館には仙石氏・小出氏伝来の品々を展示している。他にも豊臣秀吉拝領の金団扇などの歴史を知ることの出来る資料を展示している。

・兵庫県豊岡市出石町宵田78
公式ホームページ

クリックして画像を拡大





トップページへ inserted by FC2 system