八田別荘 (5 画像)
八田別荘は、福井藩出身の旧帝国海軍大佐・八田裕二郎により避暑を目的として、1893(明治26)年に建てられた軽井沢における日本人初の別荘である。
八田は群馬県の霧積温泉へ療養に来た際に、峠を越えた軽井沢を訪れ、高原の気候を楽しんた。また、海外生活が長く語学が堪能であったため、英国人たちと話が出来る軽井沢を気に入り、土地を購入し、1893(明治26)年に建てた木造2階建の建物が、八田別荘である。最初に購入した時の土地は現在よりも西側に広がっており、軽井沢本通りに面していたため、現在の敷地に対して正面の向きが変則的な配置となっている。木造の和風建築ではあるが、破風板と窓枠には白いペンキが塗装され、洋風の趣も兼ね備えている。 電気、水道共に創建時には引かれておらず、水は建物北東部に井戸を掘って使っていたようで、井戸の跡は現在も見ることができる。また、電気はランプを使い、夜出かけるときには提灯を下げて灯りとしていたという。「八田」と記された提灯は「こんばんは提灯」と呼ばれていて、現在も八田別荘の茶の間に残っている。軽井沢に配電されるようになったのは1914(大正3)年で、八田別荘は昭和の始め頃にランプから電灯に換わった。
門を入るとモミやカラマツ、カエデ、モミジの大木があり、建物入口に通じている歩道を除いて、美しい苔がびっしり生育している。広い庭の一角には、1910(明治43)年の洪水で流されてきたという地蔵が、流れ着いた場所を安住の地とするべきとの助言を受けて安置されている。
八田は別荘を建てた後、日本人に夏の転地療養に高原の軽井沢へ別荘を建てることを勧めた。そうして軽井沢が避暑地へと開けて行くに伴い、夏期滞在者にとって相互の連絡、交流、救護、自衛及び交渉のための組織が必要になり、外国人避暑客の間に公益委員会という組織が作られる。さらに、公益委員会を恒久的な団体にしようという動きから、内務大臣から財団法人設立の許可を得て、1916(大正5)年12月1日に軽井沢会の前身である軽井沢避暑団が設立された。 八田は軽井沢避暑団設立当時の理事を務め、世話役の一人となっている。また福井県にて衆議院議員総選挙に当選し、東京福井県人会の第2代会長も務めた。自宅は東京都小石川にあったが、軽井沢避暑団の仕事にも従事し、終生軽井沢のために尽力した。 八田別荘は裕二郎の没後、3代にわたり120年以上受け継がれてきたが、平成26年度に保存のため、軽井沢町へ建物を寄贈、用地を売却され、現在は町が保管している。

・長野県北佐久郡軽井沢町軽井沢815-1、816-2
公式ホームページ

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