吉岡彌生終焉の地 (3 画像)
吉岡彌生は、1871(明治4)年3月10日、遠江国城束郡上土方村(現・静岡県掛川市)に漢方医・鷲山養斎の娘として生まれ、父の影響を受け22歳で医師免許を取得し、日本で27番目の女医となる。 1895(明治28)年東京至誠学院でドイツ語を学びはじめ、同年10月に学院長である吉岡荒太と結婚。 1900(明治33)年12月5日、日本初の女医養成機関として「東京女医学校(現・東京女子医科大学)」を麹町区飯田町(現・千代田区飯田橋)に設立し、女性医師の養成、医学教育、研究の振興に留まらず、女性の社会地位の向上にも尽力した。 1910(明治43)年に東京女医学校の卒業生の同窓会として「校友会」を発足し、1923(大正12)年に会を「至誠会」と命名する。「至誠」は「患者に接するときの根本的な心構え」として、生涯にわたって教え子たちに求めた医者の心構えである。 1948(昭和23)年6月、長男博人の家族とともにこの地に移り住む。1951(昭和26)年には文部大臣より学校法人東京女子医科大学の設立が認可され、翌年3月に学頭に就任した。 1959(昭和34)年5月22日、88歳の天寿を全うし、この地にて永眠した。法名「仁壽院道譽徳彌生輝大姉」。1959(昭和34)年正五位勲二等瑞宝章。

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