観音寺 (12 画像)
真言宗豊山派の寺院。開山は賢智上人で17世紀初頭に創建されたと推定される。この地は江戸時代のはじめ頃から開発が進み、五兵衛新田と言われ、その後も同新田の菩提寺として地域とともに歩んできた。のち1868(慶応4)年3月には、江戸から退却する新撰組の一隊(当時は甲陽鎮撫隊)が金子家とこの寺院に宿泊。この間の食料や物資はすべて金子家が調達したという。新政府軍も伊藤谷橋まで進出し戦闘が始まろうとしたが、新撰組が流山(千葉県)に撤退したというエピソードを持つ。
開基は開発者の一人で法名を開田院と称した金子五兵衛である。境内に五輪塔形式の墓があり、開発の歴史を今に伝え、金子五兵衛の墓として足立区登録有形文化財となっている。
本尊は十一面観世音菩薩で江戸時代初期の作、境内に大師堂や鐘楼があるほか、荒川辺八十八か所五十一番、荒綾八十八か所の七十番札所で、荒川をめぐる地域の巡拝地であった。ほかにも境内に1664(寛文4)年の聖観音立像庚申塔があり、足立区登録有形民俗文化財となっている。

・東京都足立区綾瀬4-9-6
公式ホームページ

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